茶郷 シヨ(喜代) (さごう しよ/きよ)

大草美紀(資料整備委員会)

茶郷シヨ、さごうしよ茶郷喜代さごうきよ


1972(昭和47)年2月24日没
卒業生の母、祖母
学園創立時の後援者、茶郷基氏の夫人。
旧姓女学校で茶道・華道を教えていた。
在職期間 1931~1934、1941~1943

☆茶郷夫人
シヨ夫人は、表だつことを好まず主人の意志にそい、あくまで陰の後援者としての立場を堅持して、父母会・母の会その他の公的なところの活動は控えていた。ただ創立当初は準備も整っていない時であったため、多少、表面的なこともされた。創立開校の日は150人分のいなり寿司を折詰めにして徹夜で作り、当日は祝賀の会食に間にあわせた。校庭に樹木も少なかったので出入りの植木職人に植樹させたり、自宅の庭木を移植させたりした。後年、女学校の課外にお茶とお花の授業などをされた。
39年の30周年記念式典に、学園にとって第1級功労者の1人として茶郷基の功績が表彰された折、次のようなことを語られている。
「主人は在世中は明星学園の創立にお手伝いしたことなど外部の方へはいっさい洩らしませんでした。ことに、こどもに対しては絶対に秘密にしておりました。
はじめ、学園は先生がたった4人でしたが、主人はその方々、特に照井先生のご人格に接して、あんな立派な人のためなら、自分はどんなお力添えをしても惜しくないと常に申しておりました。」

(「PTA会報」30周年記念号から)

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