明星学園の教育

建学の精神

個性尊重の教育

個性尊重の教育

子どもたちはそれぞれの個性に生きています。個性が理由なく傷つけられたり歪められたりしたのでは正しい教育はできません。教育の原則はまずこの個性を十分に伸ばすことで、ひとりひとりの個性に即してきめ細やかな教育の方法が工夫されねばなりません。ひとりひとりの個性に合わせて、伸ばすべき長所を伸ばし、補うべきことを支援していきます。

自主自立
ひとたらしめる教育

子どもの自主性を重んじ、自立的な態度を身に着けるためには、学び方も主体的であるべきです。自信に満ちた生活は自主性によって支えられます。創意、発見のある学習態度はそれを促進させます。明星で保障される自由は勝手気ままにふるまうことではなく、自己の確立に向かっての自由です。

自主自立のひとたらしめる教育
自由と平等の教育

自由平等の教育

人は自由であり平等でなければならないということは、子どもたちの上にも無条件で当てはまります。子どもたち同士が平等であり、子どもと教師が平等であるように、教師同士も平等なのです。何人も「強制」による束縛は受けません。自分が自由であるということは、他人の自由をも同等に尊重されねばならないことです。

校歌

創立100周年を迎えた現在も明星学園の“校歌”として歌い継がれている「明星学園行進歌」は、創立10周年を迎えた1934年、赤井米吉園長が当時二人のお子さんの保護者だった北原白秋氏に作詞を依頼し、白秋氏の紹介で細谷一郎氏が曲を付け完成しました。その年の秋の運動会で初めて合唱されました。
この「明星学園行進歌」ができる前は、赤井園長が作詞した「明星学園の歌」が校歌として歌われていました。「明星学園の歌」は1928年に中学部・女学部が開校したときに、キリスト者だった赤井園長が祈りの一節をもとに作詞し、中学部の音楽教員だった吉原規氏が作曲しました。「明星学園行進歌」ができたあとも、二つの曲が両方歌われた期間が長く続いたそうです。
戦後は明るい曲調の「明星学園行進歌」が全校で好んで歌われていましたが、15年間続いた4・4・4制が廃止された1970年代後半から小・中学校ではさまざまな行事や式典のなかで校歌が歌われなくなり、「明星学園行進歌」は高等学校の式典だけで歌い継がれていました。(詳細は『明星学園 100年の ひと・もの・こと』P.36~38参照)
2013年4月7日の中学校の入学式において、8・9年生の合唱とアンサンブル部の演奏で明星学園行進歌が歌われました。35年ぶりの復活でした。これ以降、中学校・小学校でも行進歌が歌われる機会が増えています。創立90周年・100周年の記念式典では全校児童生徒と卒業生が年代を越えて明星学園行進歌を合唱しました。

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明星学園行進歌を聴く

2024年12月14日(土)
明星学園100周年記念コンサート
『歌で紡ぐ100年』より
歌  小林沙羅(ソプラノ歌手 本校卒業生69回生)
ピアノ冨平恭平(新国立劇場合唱指揮者 本校卒業生65回生)
合唱 岡戸淳(本校教員)・間宮かおる(本校元教諭)・音楽部・音楽部OB/OG

校章

現在の校章は、戦後の学制改革で新制高等学校が発足した1948年に、美術科教員の横川武がデザインしました。外周の円形が宇宙を表し、そのなかに明星学園の「明」の字を図案化して右側に配し、左下に金色に輝く星(明星)が刻まれています。小学校は赤、中学校は緑、高等学校は黒という色違いの七宝焼きのバッジです。
校章の意匠は「Myojo」のMとJの2文字だと誤解されることがありますが、当時の明星学園では「MIOZIO」というローマ字表記が使われていたことからも、アルファベットの図案化ではないことがわかります。
第1回卒業生でもあった横川武教諭が、創立者の赤井先生・照井先生らの意志を受け継ぎ、学園の名前の一字である「明」の字に、漢字自体の持つ意味も込めてデザインしたのではないでしょうか。

小学校  赤 中学校  緑 高校  黒